なぜこのオンライン木魚をつくったか
お寺の庭で聞いた一打から、ウェブでも叩けるところまで
Wooden Fish は、開けば叩けるウェブの木魚です。短い、安定したリズムのためのものです。お寺ではなく、本格的な読経の代わりにもなりません。
きっかけは、わりと偶然です。
お寺に行ったとき、庭の向こうから木魚の音が聞こえてきました。急がず、一打ずつ、澄んでいて、少し空洞がある。しばらく立って聴いているうちに、肩の力が抜けた気がしました。説教されたわけではなく、音そのものが場を静かにした、という感じです。
帰っても、その一打が耳に残っていました。道具を揃えなくても、長い説明がなくても、開けば叩ける薄いウェブはできないか。そう思って Wooden Fish をつくりました。
これは道場ではありませんし、本当の読経の代わりでもありません。騒がしいなかでも、安定した一拍を見つけられれば、それでいいと思っています。
木魚とは何か、どう呼ばれてきたか
木魚は仏教の法具で、拍子をとり、眠気を払い、読経に合わせます。名前の「魚」は、魚が目を閉じないという言い伝えと結びつけて、精進の象徴とされることがあります。文化上のイメージであり、このサイトが保証できるものではありません。
呼び名もいくつかあります。昔の寺院では、僧を集めたり斎を知らせたりするために、魚の形をしたものを吊るして叩くことがあり、魚鼓・魚板などとも書かれます。日常の課誦では、丸くて手に持てる形の方がよく見えます。中国語では木鱼/木魚、日本語では木魚(もくぎょ)。韓国語では吊るす大きな魚形を목어、手に持つ丸い形を목탁と呼ぶことが多いです。英語では wooden fish、西洋打楽器では temple block として近いものが使われます。
長い魚の形から、丸い空洞の胴へ。人を集める合図から、リズムを導く道具へ。このサイトの一声は、その「軽い一打」をブラウザに置いただけです。
どんなサイトにしたいか
つくっているあいだに決めた線は、今もだいたい同じです。
- 最初の画面は叩くこと。ほかの機能は横に置く。ダッシュボードにはしない。
- 仏教の言葉は尊重する。加持を売ったり、寄付を脅したり、「功徳 +1」を教義の保証にはしない。画面の軽い反応です。
- 回数や設定は、いまは端末の中。ランキングはない。
数分休みたい人、呼吸の拍子がほしい人でも使えます。仏教徒である必要はありません。すでに師や道場があるなら、そちらを優先してください。ここは、やさしいウェブの道具です。
これから足したいこと
地図を広げすぎない。続けられるものから足します。
- 音色をいくつか選べるようにする、108回のような端末内の小さな目標;
- 経文の読み物を、ゆっくり増やす;
- 「祈願」「問い」はまだ準備中;
- 由来や使い方、リズムについて、こうした短い文章をときどき書く。
できないことは先に言いません。進んだら、サイトに出てきます。
さいごに
この小さなサイトが、いつか静かな一瞬の助けになれば、それで十分です。
いつでも叩いてください。使いにくいところ、言葉の違和、小さな機能の希望は、伝言ページへ。届いたものは読みます。文句でも、ありがとうでも、どちらでも。
静けさは、大げさでなくていい。一打、また一打で足りる。
—— Wooden Fish
まず一打?
木魚に戻って、自分の速さで。
木魚を叩く